本家☆にょじやまラーメン(音楽味)

ビートルズを中心に、音楽素人のディスクレビューです。

『Revolver』その1

ビートルズが『Revolver』を発表した1966年は、色んなことを止めた1年でした。最も有名なところでは、夏のアメリカツアーを最後にライブ活動を停止しました。年間2枚ずつ制作していたアルバムも、この年に制作したのは『Revolver』1枚のみでした。そして、1964年から2年続けて彼ら主演の映画を制作していましたが、この年には制作されませんでした。当初は3作目の主演映画の制作が計画されており、1961年に発表された小説『A Talent For Loving』を映画化する権利を、映画『Help!』の撮影時期にブライアン・エプスタインは購入していたようです。メンバーも3作目の主演映画の計画を認め、『A Talent For Loving』というタイトルもマスコミの知るところとなりました。小説の脚本化も進んでいたようですが、メンバーが納得する脚本を仕上げることができず、映画の制作自体がキャンセルとなってしまいました。脚本の出来に関係なく、そもそもメンバーは映画制作に消極的だったのではって気もしますが、いずれにしろ1966年初頭に予定されていた映画の撮影計画が中止となりました。

1966年初頭のスケジュールが空白となったビートルズは、デビュー以来最長の活動休止期間を得ることができました。心と身体を休めるリフレッシュ効果はもちろんのこと、前作『Rubber Soul』で苦しめられた作曲活動の時間を確保することができました。時間的余裕が必ずしも多くの曲を産み出すわけではないと思いますが、プライベートでの行動範囲が拡がったことで、曲作りの源泉となる数多くの刺激的な出会いがあったことは間違いないでしょう。『Revolver』に収録されたぶっ飛んだ楽曲の数々は、ビートルズの活動を離れて見聞きしたものにインスピレーションを掻き立てられたのだと思います。

メンバーの強い希望により、今作のレコーディングにメンフィスのスタックス・レーベルのスタジオを使うことが計画されていました。圧倒的な商業的成功のおかげで王様として振る舞えた、EMIスタジオの方が何かと便利だったと思うのですが、『Rubber Soul』でスタジオでのサウンド作りに深く関わったことで、EMIスタジオの機材に物足りなさを感じてスタジオの変更を思いついたのかもしれません。ブライアン・エプスタインが現地を視察し、レコーディング期間中のメンバーの住居も決まっていたようです。メンバーのセキュリティを確保できないことを理由に、結局この計画はキャンセルされたのですが、ビートルズのレコーディングの噂を嗅ぎつけて、莫大な金のかかるアイデアを持ちかけた連中が多かったことも理由にあるようです。もしスタックス・レーベルのスタジオでのレコーディングが実現していたら、これまで一緒に仕事をしてきたジョージ・マーティンやエンジニアを連れて行けたのでしょうか?現地のレコーディング・エンジニアを使うことを強制されていたら、『Revolver』の仕上がりは良くも悪くも変わっていたでしょう。

結局これまで通りEMIスタジオでレコーディングするのですが、1966年4月6日「Mark I(「Tommorow Never Knows」の仮題)」のレコーディングで使用したのは、慣れ親しんだ第2スタジオではなく第3スタジオでした。第2スタジオがビートルズ以前からロック・バンドのレコーディングに使われてきたのに対し、第3スタジオの方はサイズが小さくアコースティック・サウンドや効果音のレコーディングに使われてきました。4月6日のレコーディングで第3スタジオを使ったのは、第2スタジオが空いてなかったからだと思うのですが、使ってみて第3スタジオが気に入ったんでしょう。

そして今作のレコーディングから、チーフ・エンジニアにジェフ・エメリックが昇格しました。前任のチーフ・エンジニア、ノーマン・スミスのアシスタントをしていた彼はビートルズのレコーディングの現場経験は長く、1962年9月4日の「How Do You Do It」のレコーディングにも関わっています。プロデューサーに昇格したノーマン・スミスに対し、ビートルズのエンジニアとの兼任をジョージ・マーティンが認めなかったため、ノーマン・スミスの後任としてジェフ・エメリックに白羽の矢が立ちました。『Revolver』のレコーディング開始の約2週間前、ジョージ・マーティンにオフィスに呼び出され、ビートルズのエンジニアにならないか打診されます。しかも、その場で回答を迫られます。世界一のバンドのエンジニアという重責に一瞬迷いますが、自身のキャリアアップのために引き受けることにしました。ところが、4月6日のレコーディング開始日までエンジニアの交代がメンバーに知らされておらず、ジョン・ジョージ・リンゴの反応の悪さにジェフの心は折れそうになります(苦笑)。唯一ポールだけが好意的な反応を示しており、エンジニア交代について予め知らされていたのではとジェフは回想しています。ジェフにとって前途多難な初日となったわけですが、加えて最初のレコーディング曲が「Tommorow Never Knows」と悪いことは重なるものです(苦笑)。しかしながら、誰も聞いたことないぶっ飛んだ曲が最初の仕事となったのは、ジェフにとってはラッキーでした。過去の作風の延長線上の楽曲だったら、何かと前任のノーマン・スミスの仕事ぶりと比較されたと思います。ところがジョンが持ち込んだ奇妙な楽曲は、ジョンの頭の中だけで鳴ってるサウンドを実現するために、これまでの慣習に捉われないジェフ流のやり方をチャレンジする絶好の機会となりました。この曲のレコーディングでメンバーの信頼を勝ち取ったジェフは、これ以降のレコーディングでも様々なアイデアをぶち込んで、誰も聞いたことのないサウンドビートルズのメンバーと共に創り上げていきます。