本家☆にょじやまラーメン(音楽味)

ビートルズを中心に、音楽素人のディスクレビューです。

『Rubber Soul』その1

昔々自分がビートルズを聴き始めた頃、この『Rubber Soul』を初期のビートルズの総決算的な作品と位置づけたレビューを度々目にしました。そういった論調のレビューでは、ビートルズの音楽活動期間を『Rubber Soul』と『Revolver』の間に線を引いて、『Rubber Soul』が前半の最後のアルバムとして語られています。しかしながら『Rubber Soul』を前半の最後を位置づけるにはムリすぎるほどの、今までになかった作風の楽曲や斬新なアイデアが詰め込まれており、後期ビートルズの実質的なスタートはこのアルバムからだと思います。

ビートルズは音楽活動によるイギリス国家への経済的な貢献が認められ、1965年10月26日にMBE勲章を授与されます。MBE勲章の授与は、ビートルズの国民的アイドルとしての活動にひと区切りをつけた、象徴的な出来事だと個人的には思ってます。MBE勲章の授与の2週間前、1965年10月12日から『Rubber Soul』のレコーディングはスタートしました。MBE勲章の授与式の際、バッキンガム宮殿内でビートルズの4人はマリファナを吸っていたエピソードが知られており、『Rubber Soul』は薬物の影響下で製作されたビートルズ初のアルバムと言われています。ジョンは『Rubber Soul』をpot album(大麻のアルバム)と呼んでいます。

ビートルズが活動していた頃、官僚的だったEMIはスタジオでのレコーディング時間を厳格に管理していました。午前中のレコーディング時間は10時から13時まで、午後のレコーディングは14時30分から17時30分まで、残業は19時から22時までと定められていました。ところがビートルズは、『Beatles For Sale』のレコーディングから午前の時間を使わなくなり、この頃になると録音しっぱなしでスタジオで練習しつつ曲を仕上げていたので、レコーディング時間が深夜まで及び、EMIのスタッフからは不評を買うようになりました。一方、プロデューサーのジョージ・マーティンは、厳格すぎるEMIの体制に音楽制作面で不満を感じていました。結局、彼は前作『Help!』のレコーディング終了後にEMIを退社し、ジョン・バージェスなどEMIから退社した技術者達と、レコーディング会社AIRを設立します。今作はジョージ・マーティンが独立してからビートルズをプロデュースした最初の作品となりました。レコーディング・エンジニアのノーマン・スミスは、念願のプロデューサーに昇格することが決まりました。彼はプロデューサーに昇格後もビートルズのエンジニアを続けることを希望しましたが、ジョージ・マーティンが掛け持ちを許さなかったため、今作を最後にビートルズのレコーディング・エンジニアの座を退くことになりました。

そのノーマン・スミスによると、約4か月ぶりに再会したビートルズについて、ジョンとポールの関係性の変化に驚いたそうです。レコーディング中のポールの発言力が増し、ジョージ・マーティン不在時はプロデューサーとして仕切り始めたようです。特にジョージのギターへのダメ出しが増えて、ギターのフレーズについても細かく注文を出していたようです。ジョージの演奏に納得できない時は、スタジオに持参したエピフォン・カジノをポール自ら演奏する機会が増えたようです。このエピソードは、アルバム『Help!』以降のレコーディングを指していると思いますが、ジョージはもちろんのことエンジニアにとってもスタジオ内の気まずい雰囲気は耐え難いものだったようです。『Rubber Soul』収録曲のうち、ポール作の「Drive My Car」「Michelle」のリードギターはポールが演奏していると思われます。ポールはマルチトラック・レコーダーの利点をフル活用して、ベースのほかにもエレキギターアコースティックギターを演奏する機会が増えました。その結果、ポールの曲をレコーディングする時、ジョンまたはジョージのどちらかはギターを演奏していないことが日常茶飯事となってきます。

・・・次回に続きます。