本家☆にょじやまラーメン(音楽味)

ビートルズを中心に、音楽素人のディスクレビューです。

リバイバル69 ~伝説のロックフェス~

映画『リバイバル69 ~伝説のロックフェス~』を観てきました。プラスティック・オノ・バンドのお披露目公演となった「トロント・ロックンロール・リバイバル」の、企画段階からイベント当日までのドキュメンタリー映画です。在命のイベント企画者や出演者のコメントと当時の映像で、イベント当日までの紆余曲折が窺い知ることができます。

元々このイベントに関しては、前述のプラスティック・オノ・バンドが出演したという薄い情報しか持ってなかったので(苦笑)、映画の大半が初めて知ったことばかりでした。ジョンも含め出演者の大半が、我々一般市民の常識とは違う次元でモノを考えられているようで、この手の人間でないとエンターティメントの世界で成功できんのでしょうね。一般常識に欠けているのと相反してライブ・パフォーマンスは圧倒的で、ロック界のレジェンド達のライブ・パフォーマンスを見ていると、日本人との身体能力の差を感じずにはいられませんでした。

ライブ映像が目的で観にいくと期待外れになると思いますが、ドキュメンタリーとしては楽しめました。

 

You Won't See Me

オリジナル曲のストックを充分用意できずに始まった『Rubber Soul』のレコーディングは、最終日の時点でアルバム収録の14曲を埋めるのに3曲足りていませんでした。そんなギリギリの状況でポールが用意してきた曲が「You Won't See Me」でした。1965年11月11日の夕方6時から始まった13時間にも及ぶセッションの最初にレコーディングされました。ベーシックトラックのテイク2にオーバーダビングを重ね、約5時間かけて完成しました。ビートルズが『Rubber Soul』をレコーディングしていた頃、ポールの当時の恋人ジェーン・アッシャーは舞台公演のオファーを受けたことで、女性は家庭にいるべきと保守的な考えだったポールとの関係が悪化します。ポールが電話をかけてもジェーンは出ることさえせず、当時の2人の関係性がそのまんまこの曲の歌詞になっています。

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Norwegian Wood(This Bird Has Flown)

1965年の1月、ジョンとジョージ・マーティンが奥さん同伴で(ジョージ・マーティンは婚約者を同伴)スキー旅行に出かけた際、ジョージ・マーティンが骨折して入院したそうです。お見舞いに訪れたジョンが、出来たばかりの「Norwegian Wood」を弾き語りでジョージ・マーティンに聴かせたという逸話があります。ギターを抱えてお見舞いに行くか~?と、この逸話の信ぴょう性を疑ってますが、イギリスではギターを抱えてお見舞いに行くのは当たり前の行為なのかもしれません(笑)。

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Drive My Car

アルバム『Rubber Soul』のレコーディング期間の2日目、1965年10月13日にレコーディングしています。この日のレコーディングは深夜の12時過ぎまで続き、ビートルズ史上初の翌日にまで及ぶレコーディングとなりました。唯一最後まで演奏した第4テイクに様々なオーバーダビングを加えてこの曲は完成します。

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『Rubber Soul』その2

これまでビートルズは、アルバム収録用の新曲を準備してレコーディングに臨んでいました。しかしながら『Rubber Soul』のレコーディング前に行われたアメリカ・ツアーが終わった時点で、レコーディングできる新曲のストックがない危機的な状況でした。ビートルズにとってラッキーだったのは、『Rubber Soul』のレコーディング前にデビューしてから初めて1か月の休暇が与えられたことです。作曲しながらレコーディングを行う自転車操業状態ではありましたが、この1か月がなければ全曲オリジナルのアルバムは完成しなかったのではないでしょうか。レコーディング当初からビートルズのメンバーは全曲オリジナルにこだわったようで、ジョージ・マーティンからは「だったら曲を書け」と非常にシンプルなアドバイスを受けています(汗)。

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『Rubber Soul』その1

昔々自分がビートルズを聴き始めた頃、この『Rubber Soul』を初期のビートルズの総決算的な作品と位置づけたレビューを度々目にしました。そういった論調のレビューでは、ビートルズの音楽活動期間を『Rubber Soul』と『Revolver』の間に線を引いて、『Rubber Soul』が前半の最後のアルバムとして語られています。しかしながら『Rubber Soul』を前半の最後を位置づけるにはムリすぎるほどの、今までになかった作風の楽曲や斬新なアイデアが詰め込まれており、後期ビートルズの実質的なスタートはこのアルバムからだと思います。

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We Can Work It Out

ビートルズ初の両A面シングルとして「Day Tripper」と共に発表され、当時のビートルズにとって平常運転の1位を獲得し、商業的にも成功を収めました。これまでもシングルをリリースする度に新しい試みをぶっこんできましたが、この前のシングル「Help!」との作風の振れ幅は過去最大と言っても過言ではないでしょう。ジョンが「Day Tripper」のシングルA面を譲らなかったのは、「We Can Work It Out」がこれまでのシングル曲にはない作風であることに、不安を感じていたのかもしれません。これまでの作風との違いにより、付いてこれなくなったファンもいたかもしれませんが、それ以上に新たなファンの開拓に成功しています。

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